元秘書AKUの”パニ&鬱”克服ブログ

秘書時代に受けた過労とあらゆるハラスメントでパニと鬱に。現在は大企業でしがない派遣社員・・・人生のリベンジなるか!?

色即是空

だいぶ心が落ち着いている。

ここ2ヶ月くらい、

あまり乱れることはない。

 

しかし、今でも、周囲を見渡せば、

すべてに羨望のフィルターがかかってしまうが、

深呼吸することにしている。

 

できる時もあれば、

できない時もある。

 

最近、家族の意味がわかってきた。

在るようで無い、それが家族以外の存在。

友人も、同僚も、家族以外の何もかも。

 

家族は、無いようで、在る。在るようで、在る。

 

配偶者にも恵まれた。

私は、こんなどうしようもない人間だけど、

こんな私のことを、家族として、厳然と愛し守ってくれる。

 

当の私はといえば、

たまにまだあの感覚に襲われることがある。

 

わたしはどこにいるのか。

体はここにあるけど、中身はどこにあるんだろう?

自分が、自分の皮を被っているだけの、

空虚なものに思える、思考の癖。

その皮は、単なるナマモノで。

 

歯を磨きながら、いっしょに鏡に映っているこの人は?

あぁ、そうだ。夫なんだ・・・。

 

そんなこんなで、

旦那さんの顔を何気なく見ていると、

急に、初対面のような気がして、恥ずかしくなることすらある。

 

新鮮で面白いけど。

 

いろいろなものを犠牲にしたけど、

まだ回復の途中なんだろうけど、

大切なことに気付けて本当に良かった。

 

平穏な日々を大切に、包み込むように大切に、

感謝して過ごさなくっちゃ。

 

少し順調

やっぱり抱えているものをアウトプットするのって

とっても大切だと思う。

 

環境は変わらないけど、

もやもやをアウトプットすると、

不思議なことに、自分の中で何かが変わる。

 

何かが変わったからアウトプットできるのかもしれないけど。

 

子供が抱えるイジメの問題に似ていると思う。

 

小学生の頃、先生にいじめられた。

毎日辛かったけど、親には言えなかった。

言えるようになったのは大人になってからだ。

 

中学生の頃、一瞬友達にシカトされた。

それも親には言えなかった。

年頃だったのもあり、たった数日のことだったけど、

自殺まで考えた。

 

高校生の頃、一緒に歩いていた友達が、

ヤンキーに絡まれ、巻き添いに。

これは親に言えた。

 

大学生の頃、友達に裏切られた。

これは誰にも言えなかった。

が、すぐに仲間が助けてくれた。

でも一生忘れないし許さない。

 

まぁその後も多かれ少なかれ、

紆余曲折やトラブルがあった。

 

うん、ずいぶんあった。

 

振り返ってみると、これらはすべて、

他人の「悪意」に触れてしまった瞬間の出来事。

 

悪意に触れるということは、

青天の霹靂に近い。

 

思ってもいない、想像もしない角度から、

じわりじわりと、まるで蛇のように巻きついてくる悪意。

 

他人が抱く嫉妬や焦りは、

目に見えないから恐ろしい。

 

理由もわからず、気がついたら悪意に陥れられている。

 

理由がわからないから、突破口も見出せない。

 

ある程度突破口が見出せないと、

今の自分の現状を、言葉という形にして、

アウトプットすることができない。

 

アウトプットできずにいるうちに、

心の傷が広がってしまう。

 

気をつけないと。

 

でも、これまで通り、傷つくだけじゃ終われない。

悪意に対しては正論で倍返ししてきたんだ。

 

小学校の頃私をいじめた先生には、それができなかったけど・・・。

幼なすぎたんだなぁ・・・心残り。

 

悪意には正論でお返しするのが一番良い。

ゆっくり時間をかけて、周りを巻き込んで。

 

それはさておき、

やっぱり人の悪意に触れる機会を減らさないと。

 

目立たないように、目立たないように。

存在感を消して生きよう。

散乱

2回目のカウンセリングを終え。

 

頭の中を整理して、

学んだリラクセーションで交感神経を鎮める。

 

なんでこんなに神経過敏なのかなぁ。

子供の頃からそうだけど。

もっと鈍感になりたい・・・。

 

周辺の環境に対する神経が過敏すぎる、

という自分の特徴は理解できた。

あとは対処方法。

 

刺激が強い環境下にいると、

せっかく立てた目標があっても、

意識が散乱してしまい、何も手がつかなくなる。

そして焦り、失望して、パワーオフ。

 

もっと自分の目標に、

というより、自分自身に集中しなくちゃだめだ。

 

長期で立てた目標を、

それに沿って歩いていけば、

かならず人生に自信が持てるようになるはず。

 

そうすれば、周辺環境なんて気にせずに、

自分の人生を自分らしく歩けるはず。

 

偽者やまやかしを見極める直感だけは、

これだけは自信を持てる。

 

そんなことに惑わされずに、

自分自身に集中しないと。

 

圧を受ける

職場で久しぶりのハラスメント。

 

無知な人だから、

その言葉がパワハラになるなんて、

知らないんだろう。

 

派遣会社に相談したら

たぶんまた大事になる。

 

労働契約に関わることは、

言っちゃダメなのに。

 

思えば働きだした頃から、

少しずつ圧受けてたなぁ。

 

あの頃から今日まで、

ちょっと変だな?と思うことはチラチラあったけど、

気のせいってことにして受け流してきたけど。

 

完全にやられた。

 

でも不安定な立場の人だから、

大事にしたら困るだろうな。

 

虚構の中で孤独を紛らわせてる姿が、

日々痛々しかった。

 

わたしが我慢すればいいだけか。

 

こうやって秘書時代、心が壊れていったけど。

でも同じ土俵には登れない性格だからしょうがない。

 

虚構で生きてる人の土俵は、

未知すぎて。

 

とりあえず、

いま修行に出てる姐さんには相談しておこう。

 

 

 

 

 

裏と表にイライラ

今の職場は大きな組織。

 

人によっては大きなチカラを持っている人もいる。

そのチカラに群がる蝿も。

 

その蝿の裏と表に、どうしてもイライラしてしまう。

 

秘書時代には感じなかった、

裏と表をあからさまに使い分ける人への嫌悪感。

 

「あぁ、この人ゴマ擦ってるなー」

「あぁ、この人保身に走ってるなー」

 

と、日々感じざるを得ないポジションだったので、

人の裏表には慣れているはずなのに。

 

でもよく考えると、あの頃は、

「コイツの裏表、ひどいだろうな」ということはすぐにわかっても、

その人の裏の顔に接する機会があまりなかった。

 

だから、裏の顔まで見えるポジションにいる現在、

とてつもない違和感と嫌悪感に苛まれるのかな・・・。

 

人はここまで裏表を使い分けるのか!?

 

と、毎日人間不信になるくらい。

 

これはずーっと思っていることだけど・・・

裏表使い分けるの面倒くさくないのかな?

 

家から一歩社会に出たら、

ずっと表でいけばいいんじゃないの?

 

誰に対してもきちんと社会人として当たり前の気遣いするくらい、

何が減るというんだろう。

 

だから干される寸前なんじゃ・・・?

裏表を使い分ける人って、損な生き方だよなぁ。

 

と思ってしまう。

 

どれだけ虚勢を張っても、

手に入らないものは入らない、

変わらないものは変えられない、

流れる月日は止められない。

 

裏表は自分が思っている以上に、

周囲に伝わるものなのに。

 

どうして気付かないのかな、

そう思うとイライラする。

 

そんな私もまだまだダメだよな。

 

ある先生がおっしゃってくださった言葉。

 

「他人を見すぎると、自分を見失う。」

 

いま、まさにその典型。

イライラしすぎて自律神経不調。

 

ただでさえ通院に逆戻りしちゃったのに、

いらんことで心労を重ねてしまっている。

 

「他人を見すぎると、自分を見失う。」

 

人のことはどうでもいい。

しっかりしろ、私。

 

 

 

変われるものと変われないもの

今日は無価値感マックス。

 

死にたいと心の中でどれだけ叫んでも、

死なないのは自分の中の倫理観がそれを封じているから。

 

3億円欲しい!

そう叫んでも手に入らないのと同じ。

 

できないものは出来ないし、

変われないものは変われないんだ。

 

やっと気づけた。

 

倫理観や価値観は、

誕生から始まって今に至るまでの、

自分の足跡。

 

自分が通ってきた、

いろんな環境が、

自分に複雑な色をベタベタ塗りたくる。

 

その色が正解なわけじゃないから苦しい。

 

他人も同じ。

 

親だって配偶者だって同じ。

 

他人が持つ色を認めないと。

自分もその人も、

その責任の中で生きてくんだから。

 

死のうが生きようが、

病で苦しもうがもがこうが、

自分には関係ないんだ。

 

みんな、

自分は自分、

そうで思って生きてるんだから。

 

心配したり、

悩んだり、

顔色伺ったり、

 

そんなことは不毛だったんだ。

 

愛情なんて存在しない。

好きなように生きることを認める。

それでいいんだ。

 

無価値感は変わらないけど、

他人との距離のストレスからは

解消された。

 

親以外、みんな他人だから。

背負う必要なんて無い。

 

だから自分のことだけ、

気の赴くままで、

生きていけばいい。

 

心は守って。

表と裏で。

 

 

意味を探す病

毎日がただ過ぎていく。

 

 次回のカウンセリングまでの課題、

 

「楽しいこと」をする

 

なんて、できないよ。

 

ただ毎日無意味に生きてる。

惰性の日々。

 

生きたいわけじゃないのに生きてる。

 

という考えに辿り着いちゃう。

 

自分が愛おしくない。

自分という皮が不自由だと感じる。

 

無価値の烙印を

長いこと焼き付けられてきたからかな。

 

もうこの火傷の痕は消えない気がする。

この烙印は真実、真理かもしれないとすら、

思えてきちゃう今日この頃。

 

最近は、そんな考えが浮かぶたび、

蓋をしてきたけど、

溢れ出るから気づかないふりができない。

 

また小さな発作。

 

いったりきたり。

もうこれから先もずっとこんなんじゃなかろうか?

 

生きることに一応しがみついてる手の握力。

 

それを少しゆるめようかなって思うだけで、

出てくる小さな発作。

 

もうやめたいよ。

 

今日はそんな日だ。

明日は心も晴れるといいな。