元秘書AKUの”パニ&鬱”克服ブログ

秘書時代に受けた過労とあらゆるハラスメントでパニと鬱に。現在は大企業でしがない派遣社員・・・人生のリベンジなるか!?

お題「楽しい」ことをする

「お久しぶりですね」からはじまったカウンセリング。

情けないような、ホッとするような。

 

なんとも言えない気持ちだった。

 

とりあえず、妊娠を希望しているので、

薬の服用が必要になる前に、今の状態を改善したい、と伝えた。

 

一通り、細かな事情聴取(笑)が済んで。

 

ふたたび顔を出し始めた自己無価値観感の解消と、

自律神経の不調の解消を目的とすることにしました。

 

簡単な栄養面での注意事項と、

漸進的筋弛緩法というリラクゼーション技法を教えてもらい、

50分のカウンセリング、終了。

 

クリニックでは、カウンセリングのことを、

「トレーニング」と呼んでいて。

 

ねじ曲がった思考回路を軌道修正するトレーニング。

 

次回のトレーニングまでの宿題は、

「楽しいこと」を実践して、その報告をすること。

私には、心から「楽しい」と思う機会が足りないらしい。

 

それなりに日々は充足しているものの、

たしかに「楽しい」は無いかも。

 

自分が心から「楽しい」って思える時間は、

虚無感につながりやすいから、

楽しむことに後ずさりしてしまう感が少しある。

 

「楽しい」ってなんだろうな。

 

「楽しい」は虚しい。

「楽しい」は孤独と背中合わせ。

「楽しい」は続かない。

 

あーなんてつまらない人間なんだろうな。

女性問題で弾けすぎて謹慎になった人みたいに、

謹慎になるくらい、自分が「楽しむこと」に没頭してみたいものだよ。

目標とカラダ

カラダ、というか神経、というか、脳みそ、というか。

 

気力があっても体力が無い。

毎日寝る前に2時間ほど、資格取得に向けた勉強をしているが、

なんせ一日中だるい。

たった1週間とちょっとなのに。

 

寝る前に勉強してる、とは言っても、

午前1時には眠っている。

起床は午前7時。

6時間は寝てるのに、朝のだるさったらひどいものだ。

 

午前2時に仕事を終えて、午前7時には稼動していた数年間。

疲労は麻痺していたんだろうけど、

どうやって生きてたんだろう、、、と改めて思う。

もう細かいことは忘れちゃったけど。

 

疲労が麻痺したまま、状況を変えないと神経と精神がヤラれる、

ということは実体験として学んだけれど。

 

電通問題がニュースで浮上するたびに思う。

あのとき私が自殺を決行していたら、どうなってたんだろう、って。

あの会社は、どうなってたのかな。

あの社長は、あの専務は、あの人たちは、いまごろどうしてただろう、って。

 

上場していない会社だから、

そんなに大きくとりあげられることはなかったのかな。

 

三菱のケースは、命を絶つ前に表面化させることができたようだけど、

これも大企業だからだよね。

 

あ。

 

ほら、また過去にひきづられてる。

 

目標設定はしたけど、カラダが思うようについてこないからって、

過去を振り返ってしまう悪い癖。。

どうしても過去に報復したくなる悪い癖。

 

明日は久しぶりの通院日。

約1年ぶりのカウンセリング。

きっと、あの部屋に入った瞬間、

また戻ってきちゃったな、、、って情けなさでいっぱいになるんだろうな。

でも、もう根治させないと。

せっかく見つけた目標。

過去に足を引っ張られたくない。

だから少しずつでも根治させられるように、

勉強と同じく、治療もコツコツやっていかないと。

 

目標の資格取得は2種類にした。

まずは今年1つ。

もうひとつは、狭き門なので、2年か3年。

 

猶予は5年。(今の会社の在籍期限)

 

がんばろう。

今日も眩しかった

夢を実現している人たち。

やっぱりその中にいると、卑屈な気持ちに押しつぶされそうになる。

 

自分には実現できなかった瞬間瞬間を、

今生きている人たち。

 

でも、わたしはこれから実現する。

絶対に。

 

それまでの覚悟が必要。

 

どんなにまぶしくても、

どんなに卑屈になっても、

その気持ちに負けないこと。

 

私には私の世界があるってことを忘れないで。

大切な人がいて、目標があるってことを忘れないで。

 

わざわざキラキラを振りまく人もいるのがやっかい。

でもそれは、自分に何かが欠けているからなんだ。

持っている人はキラキラは振りまかない。

私も振りまいていた時期があったからよくわかる。

キラキラを振りまく人の気持ちも。

 

わかっちゃいるけど。

明日も眩しいんだろうなぁ。

 

でもその偽物の光には惑わされないようにしなくちゃ。

心が腐るだけ。

お守り、見つけた

昨日見つけた突破口と目標。

 

「資格を取る」

 

ただそれだけだけど、

今日一日、久しぶりに穏やかな心で過ごせたような気がする。

 

いつものように、漠然とした人生の不安や無価値感、

やっかいな卑屈な気持ちが芽生えそうになった時、

 

「目標」が、まるでお守りのように、

ささくれそうな自分の心を包んでくれて安心した。

 

とっても不思議な感覚だった。

 

昨日のブログを読み返して、

「もしかしたら鬱の反動かも・・・」って不安になったけど、

それならそれで、また鬱がやってきたら休めばいいんだよね。

そして鬱が明けたらまたがんばればいい。

そうやって休憩しながら少しずつでも前に進めたらいいと思った。

 

明日も心を整理して一日を過ごそう。

 

 

 

 

自尊心を取り戻す

「2017年にやりたいこと」

 

自分の価値を少しでも取り戻すこと。

 

パワハラモラハラという2大ハラスメントによって、

ズタズタの雑巾のような自尊心。

 

無価値観に苛まれて生きるのも辛い日々にピリオドを打ちたい。

 

あれから1年以上経つけれど、

体は回復しても、これだけは回復しない・・・

 

回復しないどころか、周囲がまぶしく見えすぎて、

さらに自分が何も価値がない人間だという泥沼から抜け出せずにいた日々でした。

 

あの人は私が叶えられなかった夢を叶えている。

私が立ちたかったステージに立っている。

羨望の眼差しは、いつしか心を蝕んで、

その人たちのトラブルを待ち望むようにもなっていました。

でもそんな自分が情けなくて、でも変えられなくて。

 

ここ数ヶ月ずっと考えていました。

私の人生、これで終わらせていいのかな、と。

そして、やっと自分で認めることができました。

私は影にはなれないってことに。

わがままで傲慢で独りよがりで臆病。

 

そして厄介なことに人一倍、過去に執着する。

過去が今の私を作り上げたと、

すべて過去のせいにして過ごしてきました。

だけど過去を言い訳にして生きるのか、切り捨てて前に進むのか。

人生はその2択しか無いってことにやっと気がつきました。

誰にだって「過去」はある。

これまでは、過去を切り捨てて前を向くということは、

過去を許すことのような気がしていたけれど、

許すも何も、過去は単に時間としての「過去」でしかないんだってこと。

 

自分が背負っている、自分の負の性格も、

自分が背負っている、自分の負の過去も、

変えられない。

 

だったらこれからを変えるしかない。

自分の性格を受け入れて、未来の種を蒔くことで過去を凌駕するしかない。

それが、過去に縛られやすい自分を過去から解き放つ、唯一の方法。

それが、自尊心を取り戻す、唯一の方法。

 

ということで、回りくどいことを書いたけど、

とりあえず資格をとることにしました。

 

運と根性と世渡り術だけで歩いてきた社会。

根性に耐えるだけの体力がなくなったかわりに。

根性の代打。資格。

 

これまでの職歴と何も関係の無い資格。

法律の分野になるのかな。

 

合格率15パーセント。

 

がんばろう。

 

 

前進しない

ただ毎日、自殺念慮と戦って

なんとか生き延びてる日々

 

一度傷んだ心と体は

もう元には戻らないんだな

痛感します

 

何もできない

空回り

 

本当に

もう終わらせたい

 

生きることって

こんなに難しい

 

毎日頑張ってはみるものの

当たり前の域には到達できず

 

何もできない日々を

ただ手をこまねいて

ただ息をして

ただやり過ごすだけ

 

つらい

死んでもいい日が

1日でも早く来ることを

祈る日々

 

価値のない自分の

価値のない人生

見て見ぬふり

前回の部録更新から162日が経過。

 

約3カ月とちょっと。

 

この間、何をしていたかと言えば、

結婚披露宴という一大行事を終えました。

 

両家の両親も喜んでくれたから、成功ってことかな。

 

でも精神的には、低いところをすぅ~っと飛び続けている感じ。

 

少しのストレスで、気持ちが過去に引っ張られてしまいます。

いつまで続くんだろうな、これ。

 

仕事はとても順調。

だけど周囲がうらやましくて仕方ない。

私もこういう働き方したかったな。

私だってできたのに。

なんて性根が腐った感情が湧いてくる。

嫉妬深くて無い物ねだり。

 

体調を崩し、第一線からドロップアウトした自分が恨めしい。

あきらめるのが最善だったことは間違いない。

あのときは、あの選択しかなかった。

 

これまでも、どうしょうもないときは、残された道を歩くしかなくて、

でもその道がどんなに荒れ果てていても、

自分で水をやって、華々しい道にすることが出来たのに。

 

いまは、ただ毎日に流されるだけ。

旦那さんが毎日愛情を注いでくれるから命をつないでいけるけど、

これがなかったら、私はすぐにまた自分の存在を否定しだすだろうな。

 

旦那さんの愛情にくるまれて、いまは見えないふりが出来る、

自分への強い「無価値観」。

 

でも、すぐ手の届くところにあるってことは、わかってる。

いつでも引っ張り出せるんだ。

 

精神的に、危うい日々を送っています。