体と心、すこだけ前進
退職して日を追うごとに感覚が普通に戻っていきます。
どれだけの過重労働だったかを思い知らされる。
あの会社を信じている人間ほど、人生が狂う。
鬱とパニック障害だけでとどまった私なんてまだましだ。
あの二人は完全に人生を削り取られた。
ひとの人生を削り取って得た収入で味わうシャンパンは美味しいですか?
ひとの人生を削り取って得た収入で仕立てたスーツは着心地がよいですか?
ひとの人生を削り取って得た収入で身につけているその高級時計は今日も人目を引いていますか?
ひとの人生を削り取って得た収入で行ったご家族でのゆったりとした沖縄豪華旅行は楽しかったですか?
こんなことばかりが頭をよぎります。
あの会社の社長秘書というポジションは、社長のプライベートにもどっぷりと足を踏み入れざるを得なかったので、どうしても。
感情は「怒り」です。
本当の怒りが、今頃になってふつふつと沸いてきました。
心は苦しいですが、これは心があそこから解放されている何よりの証拠。
退職前、1ヶ月の休職があけて感じた感覚と似ています。
それまでは、社長や周囲に迷惑をかけてしまっているという罪悪感や、復帰してもなかなか体調が戻らない焦燥感など、いろいろな負の感情が、自分に刃を向けてグサグサと突き刺さる毎日でした。
でもある日、それが突如怒りに変わったのです。
すると少し心が軽くなりました。
しかしまたしばらくすると、怒りの感情を持ってしまったことへの罪悪感も沸いてきました。
辛い日々を、社長をはじめ経営陣や会社の体制のせいにして、自分の能力の向上から目を背けているのではないか、と。
その繰り返しでした。
今、あの会社を離れて、なるべくストレスのない日々を送っている中で聞こえてくる、元同僚の惨状。
月200時間をゆうに超えてもなお追いつかない量の業務を、労働に見合わない報酬で役職の名の下に全責任とともに押し付けられ、経営陣の感情論や思いつきでゆさぶられ、それに加え、ご機嫌次第で人格やこれまでの人生さえも全否定される恐怖に縛り付けられ。
結果、難病を患い苦しい日々を送っている元同僚たちを見ると、徐々に会社の管理体制と経営陣の人格の異常さに気づいてきます。
労働に見合わない報酬とは。
だいたい私たち役職者はこのような日々で月の手取りが25万円程度。
もちろんすべてサービス残業。
出勤簿はいまどき手書き。
総務から7時間勤務になるよう記載すべしと支持されている。
総務責任者は経営陣のひとりと不倫の仲にあったため、皆反論できず従うしかない。
職務給、業績給、役職手当、交通費等もろもろ含め、手取りたったの25万円程度で月200時間オーバーの残業。
過労を立証する裁判の過去のニュースなどを見ていると、
だいたい残業80〜100時間前後が続くと自殺するケースが多く、
200時間を超えると事故で死亡するケースが多い気がします。
振り返ってみると私もそうでした。
常に自殺念慮は離れませんでしたが、怪我も絶えませんでした。
階段から落ちることなんて何度もありました。
平坦な道を歩いていても何度も足をくじいたり、転倒し膝を擦りむいていました。
ふっと意識が飛んだり、猛烈なめまいに襲われたり、足の力が急に抜けたり、という症状が多発していました。
おかしいな?
最近生傷が絶えないな。。。
感覚も異常になっているので、当事者意識がまるでありませんでした。
今でも足の力が急に抜けて転びそうになったり、聴覚過敏が出てきたり、文字が書けなかったり、本が読めなかったり、と、症状は残っていますが、心は「怒り」のパワーが湧いてきました。
少しずつ、少しずつ、回復している実感があります。
あの二人も、今は焦らずゆっくり療養してほしいな。
退職するもしないも、それからでいいと思う。
明日は派遣会社に面接。
そろそろ寝なくちゃ。
全滅、そして叫び
今日はカウンセリングの日。
朝8時すぎ、お風呂に入っていると、脱衣所から私の携帯の着信音が。
一旦切れたのですが、こんな朝早くに・・・と思い、履歴を見ると、私が先日退職した会社の同僚からでした。
私は元社長秘書という職務柄、現役の同僚とは連絡を取るのを避けていました。
何か詮索されるのも嫌だし、もう社内事情などは聞きたくないからです。
また、私と連絡を取ったということが社長の耳に入れば、たとえ私が秘密遵守したとしても社長も内心穏やかではないでしょう。
でも、着信の時間帯が午前8時すぎだったので、ちょっとだけ胸騒ぎがしてその同僚にに電話をしてみました。
「ごめん、助けてほしいんだけど」
今にも消え入りそうな声が第一声でした。
何事かと思い、尋ねてみると、身体中が痛くて動けない、とのこと。
親に連絡したが今日はどうしても外せない仕事が入っており手が離せないと言われたそうです。
彼(同僚)は、私がまだ現役の頃も、身体中が痛いという症状を訴え、数日間休職したことがあります。
身体中が痛いと言って休職する時は、決まって、午前様までの長時間勤務が続いた時でした。
私が現役中は、「身体中が痛い」の意味がいまいちわからず、過労が祟ったんだな〜くらいにしか思っていなかったのですが、その声を聞いて、おそらく死ぬほど痛いんだな、と思いました。
「また同じような症状なの?」との私の問いに、
「うん、一人じゃ歩けなくて、でも病院に行きたい・・・」
その後、いくつか質問をしましたが、意識が朦朧としている様子で、意味不明な回答ばかり。
救急車・・・というのも頭をよぎりましたが、通院中の病院があるとのことで、とりあえず、車で彼の家に急いで向かいました。
私が現役中、心の支えになってくれた同僚です。
彼だけは嘘をつかないし、部署は違ったけれど同じ役職者として、心から信頼できる人間でした。
辞める時は、定型の挨拶しか出来ず、その後も何度か連絡をくれていたのですが、精神的にも立場的にも応答することができず、でも感謝の気持ちをちゃんと伝えたいな、と心残りだったので、彼を助けたい、と思えたのでしょう。
マンションの前の歩道に座り込んでいる男性1名発見。
彼でした。
助手席のシートを倒し、体を支えて車に乗せて、急いで病院に向かいました。
なんと、私が今日受けるカウンセリングと同じ病院。
ちょっと内心ラッキーと思いつつ、車を走らせました。
病院に到着すると彼はすでに歩くことも困難な様子。
私も、身長が180センチもある男性を支えて歩く力もなく、病院スタッフに相談したところ、車椅子を貸してくれました。
診察までの待ち時間も、
「ってー・・・いてー・・・」の繰り返し。
本当に辛いんだと思いました。
診断の結果、彼は「線維筋痛症」とのことでした。
まだ解明されていないことの多い、難病だそうです。
先生曰く、過労や精神的ストレスが原因でしょう、とのこと。
原因(職場の労働環境)が変わらない限り、対処療法をただ続けることになるが、同じことを繰り返していると悪化が懸念されるそうです。
悪化すると、介助がなければ日常生活を送るのは困難なほど痛みが増したり、痛点に直接痛み止めのような薬を注射しなければならない、など、聞いているだけで恐ろしくなりました。
さらにそれだけではなく、リウマチや膠原病の併発や、激痛による鬱症状や自殺念慮など、相当なリスクが待っている病気だそうです。
前回の受診時よりも症状が悪化しているそうで、先生は、職場の労働環境が変わらないのであれば、退職を勧めていました。
ただ、今は痛みでいろいろなことを考えるのが困難だろうから、1ヶ月くらい休職し、その間に色々考えるのも良いかもしれないですね、とのことでした。
ちなみにこの病院、私もカウンセリングでお世話になっているのですが、マンモス病院のわりに、このように患者の立場にたって、親身に話を聞いてくれる先生が多い。
彼の担当医もそんな先生でよかったと、話をなぜか一緒に聞きながら少し安心しました。
彼に聞くと、ここ1ヶ月ちょっと、退社時間は、ほぼ23時や0時、徹夜に近いこともなんどもあった、休みも月2〜3回しか取れず、先週は土日も出勤だったということです。
胸が痛くなりました。
何も変わっていないんだ、と。
これで、4名の役職者全員が精神、神経、身体を病んでしまいました。
まあ、私は元役職者ですが。
私・・・鬱&パニック障害(退職済み)
彼・・・線維筋痛症(現役、これから療養)
A・・・下肢麻痺(現役、療養1ヶ月経過)
B・・・鬱(現役、定時退社)
Bは不倫等のプライベートの問題が大きく起因しているので除外しても、不倫加護下にいるB以外の全員が、過労と精神的ストレスによる心因性、神経性の病を患い、就業が困難な状態になりました。
求人を出し続けているそうなのですが、求人内容に記載されている労働時間や残業の説明と、面接で説明するそれらとのギャップ、それを明瞭に説明できない、会社にとって都合がいいことだけが明白で労働者にとっては曖昧な労務契約に皆さん辞退するそうです。
また、このような状況になっても派遣や紹介派遣など経費のかかる求人は出していないとのこと。
持論ばかりを唱えている場合ではないんです。
私もそうです。
精神や神経がイカれるということは、人生を左右されるということ。
そこまで追い込んで、会社はなにも変わらない。
そしてまたこう吹聴するんでしょう。
会社の労務管理を正当化するために。
「最近の奴らはヤワだ」
「要領が悪いだけ」
「嫌な仕事、大変な仕事から逃げたいんだ」
「効率化を計る工夫をしていない」
ビジネス書にはそう書いてるでしょう。
でも仕事量がはんぱないんです。
仕事をオーダーする側からの視点では、気づかないのかもしれない。
些細なオーダーなのかもしれない。
でもそうじゃない。
ひとつひとつ、あなたたちがわからない、段取りや修正や組み立てがあるんだ。
些細なオーダーなんて一つもない。
上層部のように、息抜きできる時間もない。
現場の役職者のように、自由に寝たり家に帰ったりできない。
朝起きて、疲れた体に鞭打って、業務スケジュールを簡単に破壊する気分次第で変わるオーダーをこなし、別の上層部からの業務の無茶振りに応え、不誠実な役職者のケツを拭き、隣から聞こえる恫喝に耳を塞ぎ、怯え、やっと自分の業務スケジュール辿りつけるのは21時や22時を過ぎ、期限を守らないやつは不誠実だと言われ、強迫観念で業務をこなし、気づけば午前1時や2時で、虚脱感でいっぱいになりながら帰路につき、栄養の取れないてんやものをただ胃に流し込み、寝る。
そんな毎日に心折れない人がいますか。
月平均残業時間200時間越えの月日に、心が折れない人がいますか。
下肢麻痺の同僚は、そんな毎日に加え、さらに夜勤→通しという、尋常じゃない日々を過ごしていました。
そんな状況下に労働者を据え、ミスが発覚すれば、人間としての基本的人権をかんたんにぶち壊す恫喝がはじまる。
そんな状況下で完璧な仕事ができますか。
やってみろよ、と言いたい。
ミスが不誠実なら、誠実なあなたが同じ状況下でやってみろよ、と言いたい。
「幼稚園のうちの娘だってできる」
なら同じ状況下においてやらせてみろよ、と言いたい。
すでに退職したスタッフが、恫喝が録音されているレコーダーと実際の就業時間を記した書類を持って、労働基準監督署に行ったそうです。
軽くあしらわれ、終わったそうです。
だったら、だれが助けてくれるの。
どうして人生が次々と壊されていることに、誰も気づいてくれないの。
人生を壊しているということに、どうして気づかないの?
気持ちが過去に引きずり込まれた一日でした。
ハッと気づいた時には、カウンセリングの時間は過ぎており、また後日となりました。
課題が増えるなー。
家族疲れ
賃貸の部屋を引き上げ、6月から実家に戻っているのですが、これがどうもうまくいかない。
原因を自分なりに分析してみました。
①コミュニケーション疲れ
鬱&パニは寛解していません。これまで長きにわたり一人暮らしをしてきたわたしですので、日中だれかと一つ屋根の下にいる、という環境に慣れていないわけです。
ましてや、一人暮らし最中にこの病を患ってしまったのですが、やはり一番楽なのは「ひとりでいること」にもかかわらず、家族というコミュニティに身を投じてしまったことに、非常に日々疲れを感じています。
わたしを産み育ててくれた両親に対して、非常に申し訳ない感情なのですが、家の中に両親がいると、自室から出られないのです。
そう!引きこもり(笑)
もうこれは自分の性分だと思い、諦めているのですが、両親の前では無邪気で元気な自分以外を見せることができないのです。
アラフォーになってまで無邪気ってこともないのですが・・・。
ですので、元気な自分を演じられない状況の時は、自室にこもっています。
両親が出かけた隙をねらい、リビングにおりて、せっせと出かける準備をして散歩や水泳に行くので、時間の予定が立てられず、結局何もできない日が増えています。
結局何もできなかったという事実に打ちのめされ、精神的な状況は後退します。
完全なる悪循環です。
もう無駄に親に心配をかけたくない。だけどコミュニケーションをとるパワーもない。結果、引きこもりがちになる、ということです。
②過干渉疲れ
このケースは決して多くないと思うのですが、母は過干渉気味です。
幼い頃からそうでした。
小中高とこっそり足音を忍ばせて、わたしの自室をのぞき、きちんと勉強しているのかどうかを確かめにきます。
わたしは早い段階でそれに気づいていたので、母の覗きにはかなり敏感でした。
高校生の時には、部活ですこし帰宅がおそくなり、18時くらいに自宅に到着すると母がいない・・・学校に電話をし何時に帰ったのか確認、近所中を探し回っていたのです。18時。まだ日が落ちていない18時。
大学生になっても社会人になっても変わらないのが、お泊まり禁止令。
これは大学時代まではかなり反発しましたが、明け方帰ると起きて待っている母を見て、諦めました。戦う意欲が失せたんです。
これは今でも続いています。
一人暮らしの時の開放感が今でも忘れられません。
ということで、現在でもわたしが帰宅するといった時間をすこしでも過ぎれば、鬼電がかかってきます。
これはなんとも言えない嫌な気持ちになります。大きな苛立ちや怒りとともに、その片隅でチクチクとわたしの神経を突き刺す罪悪感。これがやっかいです。
ですので、またしても出かけることに躊躇するようになってしまいました。
③理想の家族疲れ。
わたしの帰省を機に、父が提唱しだした理想の家族。
「あとすこししか一緒に過ごせないんだから、それまでは、家族で楽しく過ごしたねと振り返られるよう、家族一緒に過ごす時間がほしい」
この、情に訴えてくる戦法に疲弊します。
わたしが外出しようとするたびに、「あとすこししか一緒に過ごせないのに」「晩飯くらい家族で食べれないのか」「また出かけるのか」との切ない愚痴が飛んできます。
ちなみに、現在リハビリ中のわたしの外出とは、水泳や、長距離の散歩。そのあとに必ずスパに行き、歩いて帰る、という流れです。
現在のわたしの能力では、これに6時間程度費やすわけですので、一日の大半、外出していることになります。
でもこれはわたしにとって大切なリハビリなんです。
だけど、外出するたびに情に訴えてくる戦法を繰り出されると、出かけても歩いていても泳いでいても、苛立ちとともに、これまた罪悪感に苛まれます。
父の理想の家族、理想の毎日を実現するには、わたしは家から出ることができず、何をするでもなく楽しそうに家で過ごすしかないのです。
ですので、またしても出かけるのに躊躇するようになってしまいました。
非常に辛い。
両親のことを大切に思うからこそ、辛い。
強硬に突破することもできます。大人ですから。
しかし、失望させたり、心配させたりしてしまうという、罪悪感が私の一番の天敵なのです。
だけど、リハビリできる状況にあるのに、部屋にこもって鬱々としていると、日課として決めたことを実行できないという自分への苛立ちと失望で、状況は悪化の一途を辿ります。
でも、親の前では元気なふり。
やはり、思った通り、現在負のスパイラルに陥っています。
カウンセリングの先生には「もっと自分のことを考えて行動できないかな」と言われましたが、きっぱりと「今はできません。自分本位で考えて行動しても、罪悪感に苛まれ後退するし、両親の意向を丸呑みすれば遅かれ早かれ引きこもって後退する。なら、両親の意向を丸呑みして引きこもる方を選んでしまいます。」と答えるしかありませんでした。
会社がボトルネックだった頃も、天敵である罪悪感について、カウンセリングの先生とそれを紐解いて行ったのですが、今回は、紐解けない。
両親のことだから。
再来週までの課題となりました。
うーん。
きっとわたしは恵まれた環境にいるんだろうと思います。
無職でも何も心配することなく生活をしているのだから。
両親も元気。
このまま引きこもりたくはないので、母に一部を打ち明けてみました。
母の過干渉については、いろいろ言い訳していましたが、ただ時間に連絡こないから・・・とのことでしたので、その言葉を信じて、時間に連絡するようにしてみます。
父の家族への依存については、父の生い立ちやこれまでの人生を考慮すれば、依存せざるを得ないだろうという見解は母と一緒でした。でも母は、父は自立するべきだし、AKUがそれに縛られる必要はない、といっていましたので、それを信じて、父の言葉は受け流そうと思います。
コミュニケーション疲れについては相談しませんでした。
まだ改善の兆しが見えてきただけで、ほぼ何も変わっていないんだよ、ということだけを伝えておきました。
両親はリタイアしているので、一日いちにちをとても悠長にのんびりと過ごしています。
だからわたしの病状ももう治っても良いはずだ、と思っているんだと思います。
特に父は。この病気を理解しようと努力してもやはり理解できないからです。
薬を飲むわたしを見ては、毎日のように「その薬はまだ必要なのか」「早く薬を飲まない生活にしないとならないな」「いつその薬をやめられるんだ」「なるべく我慢して飲まないようにしなさい」と、まったく無理解な言葉を寄せてきます。
しかし、年齢的にも理解を求めるのは難しいので、ハイハイと明るく返事をしてその場をやり過ごしていますが、けっこうこたえます。
大好きな両親なだけに、自分が両親を改善の障害だと思ってしまっていることに、さらに罪悪感を感じる日々です。
そんな一週間でした。
今週はトホホだったな・・・・。
過呼吸慣れ
水泳は相変わらず週3〜4日。
2時間2キロほど。
無酸素運動後に有酸素運動という流れが効果的とのことで、「後」というのは曖昧になってしまっていますが、無酸素運動は毎日行っています。
バーピートレーニングじゃ甘い!という指摘を受けたので、筋トレを1日30分。
主に腹筋に働きかけるものと、腹筋と下半身に働きかけるものを。
たしかに、バーピートレーニングでは現れなかった体の現象が。
この腹筋と下半身の筋トレ、汗が滴り落ちます。
本気で辛い(笑)
これまで走っても何しても、汗が滴り落ちるなんてことあまり経験がなかったのですが、というか、皆無だったかもしれない。
サウナも入れないし。
体重の変化は、、、無し!
体重測定は1週間に1度にしようと思いましたが、やっぱり気になってほぼ毎日、体重計に乗ってしまっています。
1キロ増えていることもあれば、1キロ減っていることもある。
まだまだ、私の体重の増減は、筋トレや水泳によるものではなく、う☆この量だとか、むくみだとか、そういったものなんでしょう、そうでしょう、そうでしょう(ちょっとやけくそ)。
早く体の代謝があがるといいな。
退職後、私が運動を欠かさない理由は、
☆心身の健康を取り戻す。
☆体力を取り戻す。
☆ダイエット(息を吸ってるだけで太っていくので)。
これらが理由ですが、きっかけは、パニック障害の症状の一つ、過呼吸の癖を治したい、という気持ちからでした。
今もまだ、人混みに混じったり、軽いストレスがのしかかってくるだけで、パニック障害の症状が現れますが、過呼吸へと移行しそうな気配はなくなりました。
一番大きな要因は、1日の大半を、パワハラや過度な残業による極限の緊張状態で過ごしていた日々から、退職によって逃れられたことです。
これはとても大きいきっかけとなりました。
やっぱりカウンセリングなどの認知行動療法もそれなりに効果はあったかもしれませんが、週1回のカウンセリングでは、あの極限の緊張状態の渦中にいると、カウンセリングで学んだことや問題の解決方法なんて、吹っ飛んでしまいます。
原因を取り除く。
これが、精神や神経を病んでしまった私にとって、一番の特効薬となりました。
渦中にいると、原因を取り除くことに罪悪感を感じ、その罪悪感にがんじがらめになり、結局原因から逃れられない。また、生活面からもその原因を取り除くことが困難である、なんてケースも多々あると思います。
でも自分の人生の主人公は自分です。
原因を取り除く以外選択肢は無いと気がついた時が最後のチャンスなんだと思います。
その渦中にとどまることは前進もしないし現状を維持することすらできない、ただただ、蟻地獄にずずずと吸い込まれ、自分の人生を失ってしまうという最悪の結果になっていたかもしれません。
がんじがらめになってしまったのなら、悲鳴をあげること、助けを求めること、それは恥ずかしいことでもなく、周囲に迷惑をかけることでもなく、まさに正しいことなんだと思います。
話が飛んでしまいましたが、過呼吸を引き起こす大きな原因を取り除いた後は、薬を体から取り除くことが、私の目標になっています。
そのためにまず、一番つらかった症状の過呼吸の記憶を体から無くそうと思いました。
それは、運動をすることで、過呼吸と同じような現象を体に起こします。
でもその運動がストレスになってはならないと思い、好きなジョギングや水泳で、息を上げることを続けています。
ジョギングは、ゆるやかなスピードで、なるべく緑の多い場所を選んでリラックスして。
水泳は、泳いでいる時の深い呼吸の心地よさや、水自体の体を癒す効果で、リラックスして。
心にはリラックスと充足感を。
体、とくに呼吸は激しくならない程度に息を上げ続ける。
こうして、過呼吸そのものや、過呼吸に移行しそうな症状が出なくなってきました。
ダイエット効果や体力増進効果が見えるにはまだまだ先が長そうだけど、過呼吸に関しては、改善の手応えを感じています。
退職して丸1ヶ月とちょっと。
薬はまだ手放せませんが、少しずつ、ひとつずつ、積み上がっているのかな、と思います。
さて、明日は水泳。
泳ぐぞー。
分子整合栄養医学
今日、完璧狸体形の知り合いにたまたま会いました。
最ゲッソリ期から7キロ太ったこと、
筋肉もないからなかなか体重が減らないことなどを話したら、
「お前、もともとデブ体質じゃん」
と言われました。
おーい!!おいおいおい!!!おーい!!!
デブにデブ体質って言われた!!!
しかもデブ体質じゃないし!!!
今もデブってほどじゃないし!!!
お前のその信楽焼の狸みたいな腹の肉、どーにかしてから言えよ!!!
すべて心の声です。
顔では笑って、心には炎が灯りました。
ぜったい諦めないぞ。
痩せることが目的じゃないけど、
良いプロポーションになって、お前の狸腹を笑ってやる!
半年後くらいに。
そう、心に誓いました。
とは言っても、日々の努力、なかなか体重には反映されません。
2日前は体重が1キロ減っていましたが、今日は1.5キロ増えていました。
完全にう☆この誤差です。
毎日体重はかって、う☆この誤差ごときに一喜一憂するのは、精神衛生上良くないかも。
今の生活のリズムと運動量と食生活を維持すればぜったい結果が見えるはず。
体重計に乗るのは、1週間ごとにしよう。
じっと我慢。我慢して続けるんだ。
我慢して続けることに意義があるはず。
さてさて、今日の愚痴を吐き出したところで、今日のお題。
私が通っているクリニックの先生は、分子整合栄養医学の観点からも色々なアドバイスをしてくれます。
分子整合栄養医学、長ったらしいですが、簡単に言えば、栄養療法です。
今も、レキソタンに加え、鉄分のカプセルと、亜鉛の錠剤、顆粒のビタミンCを処方してくださいます。
そして、食事のアドバイスもくださいます。
糖質を現在の3分の1に抑えて、糖質を抑えた分、タンパク質で補うようにしましょう、と。
正直、タンパク質と炭水化物の区別すら曖昧だった私ですので、どんな栄養素がどんな食材に含まれていて、どういう食べ方をしたらどうなるのか、これくらいは知っておきたいので、栄養に関する本を購入しました。
文章が読めない、という症状が改善されたわけではないので、センテンスが比較的短く、読みやすそうな本を選びました。
「新しい栄養学と食のきほん事典」です。
中学の教科書のような作りで、読みやすそうです。
マクロビオティックもちょっと気になりましたが、食に対する考えが賛同できる部分もありますが、偏り過ぎている感もあり、遠慮しました。
母が毎日せっせと作ってくれた料理を信じています。
こうやって無事に、アレルギーも好き嫌いも何もなく、健康に成長できたのだから。普通の家庭料理を、味や値段だけじゃなくその本質も理解して作れるようになれたらいいなーと思います。
もちろん母の味を受け継いで。
食事の時間はあたりまえにやってくるのかもしれませんが、私は数年間、そのあたりまえの時間が、あたりまえにやってこなかったので、大切にしたいと思う気持ちが強いのかもしれません。
末期の頃、歩きながら泣いたのを今でも忘れられません。
朝も昼も夕方も、業務に追われて何も食べられなかった日。
午前1時頃仕事が終わり、とぼとぼと会社近くのファミレスに向かって歩いている時、「手作りのご飯が食べたい、まともな食事がしたい」と泣きじゃくりながら歩きました。
その観点から考えても、分子整合栄養医学に精通した先生に出会えて、本当に幸運だったなーと思います。
これからも、食事の時間は平和で幸せな時間であってほしいなー。
文章が理解できない(体重も減らない)
前述した、バーピートレーニング、続けています。
しかし6セットから増やせず・・・体力の限界。
とりあえず、マックス6セット、毎日がんばっているつもりです。
引き締まれ!私の体!
今は、生まれたままの姿になると、
「実写版おでんくん」といったところでしょうか。
200時間残業が数年続いた末期。
今から1年半前は7キロ小さかった私。
あの頃はあの頃で、ちょっと焦りました。
服がガバガバ。
かおもげっそり。
タイトのワンピースにジャケットという着まわしだったのですが、
ワンピースもサイズが合わなくなり、ウェストに変なシワ。
ジャケットもサイズが合わず、着られている感満載。
会う人会う人に心配され、親からは「見たくない」とまで言われました。
痩せすぎたら痩せすぎたで、なんだか本当に不安になって、悲しくなって、家から出られなくなった記憶があります。
当時の食事は、もう固形物は食べられなかったため、
朝はこんにゃくゼリー。調子の良い日は、コンビニの肉まんの皮。(餡はドライバーに食べてもらっていた)
昼はあっという間に過ぎていき、気づいたら夕方。
ドライバーが私の身を案じて夜にこんにゃくゼリーと肉まんを買ってきてくれたな。そのときも、餡はドライバーに食べてもらっていた。
午前2時前に帰れたときは、部屋の隣のコンビニで、袋サラダともずく酢と生ハムを買って、ぐしゃぐしゃに混ぜてオリーブオイルと酢で食べていた。
朝も昼も夜も食べられない日もざらにありました。
そんなときは、明け方、ドライバーに家まで送ってもらう途中に、朝5時までやっているラーメン屋やオニギリ屋に行って食べたっけ。
そして家の前で降ろしてもらい、「じゃーまた2時間後・・・」と言って別れる。
今思い出しても、食事の面からだけでもきつい2年間だったな。
それより前は23時とか0時には帰れていたので、なんとかかんとか食べることができたんだけど、でも入社して1年間で2キロは痩せた。
そう、食べないで痩せるなんて、当たり前のことなのです。
だけど、そこに強いストレスや過労、睡眠不足が慢性的に重なると、完全に神経をやられます。
そして私は、パニック障害と鬱が深刻化。
社長秘書という職責柄、退職せざるを得なくなりました。
退職して1ヶ月が経ちましたが、未だに情緒不安定。
そして、本や新聞、文書などの比較的長文の文章が理解できません。
音読すればそれなりに理解できるのですが、音読するのがものすごくストレスです。スラスラ読めないのだから。
自分の思いをこのように文章にするのは、とっても心が軽くなります。
なぜって、文章が理解できない、に加えて、起承転結をつけて話せないのです。
おそらく今の私の会話レベルは、小学生並みだと思います。
アウトプットは、このように思うままに文字にするのがとっても楽。
だから私からアウトプットされるこのブログのような文章は、支離滅裂で感情的になっていることかと思います。
これぞ本当の「乱文」ですね。
文字のインプット、感情のアウトプットに障害があります。
でも、私、語学を習いたい。
あの会社に入社した途端、生活が会社中心になってしまっていたため、それまで趣味で習っていた語学をやめてしまったのです。
だから退職後は絶対にまたレッスンを受けに行くんだと決めていました。
でも、今の記憶力と、会話と文章が理解できないということが障害になっていて、なかなか踏み切れません。
以前のように楽しく勉強できないんじゃないか・・・と思うと。
どうにかして情緒を安定させたい。
退職後から1ヶ月は、一人暮らしを続行していたのですが、収入がなくなるため今月から実家に戻ってきました。
気ままな一人暮らしから、家族というコミュニティでの生活。
もともと独占欲の強い母からの干渉がネックです。
そして、両親の前では「元気なふり」をしなければならないのが、ものすごいストレスです。
来月くらいには、私、部屋に引きこもりになってなきゃいいけど・・・。
その前に、どうしても情緒を安定させたい。
そのためには、目標を持って、自分の時間を埋める。
しかも外で。
今はプールだけだけど、これも親への感情の衝突があるとなかなか気が進まなくなり、部屋に引きこもってしまう。
だから、語学のレッスンを再開したい。
でも文字が・・・会話が・・・。
でも前に進むしかない。
辛くても、道を自分で開拓するしかない。
そっか。そうだ。
明日学校に電話してみよう。
腕立て伏せができない
先週は5日間プールに行き、1日に2時間泳ぎました。
距離にするとだいたい1日2km強。
5日目となった先週土曜日、ちょっとウキウキしながら体重計に乗ると、体重が全く変わっていない(TロT)
ぐぐぐっと悲しくなって、彼に「体重、変わってない!コロコロのまんまだ!」と訴えると、自然に涙が。
こんなことで涙が出るとは、と内心アホらしくなりながらもやはり涙は止まらず。
そんな私を慰めつつ彼は笑いが止まらず。
我ながら、なんという情緒の幼さよ。
彼曰く、1年ほど寝たきりだった私には、エネルギーを消費するだけの筋肉が無いとのこと。エネルギーを消費するために筋肉が必要だったなんて。
そして、私のような筋力が低下した人間は、有酸素運動を毎日行っても体は引き締まらないそうです。
まずは筋トレのような無酸素運動を行い、その後、有酸素運動を行う。
そうすると何やら、効率が良くなるそうですよ。
そんなある日、フェイスブックを何気に見ていると、とある記事で「バーピートレーニング」というものを目にしました。
1ヶ月で体が引き締まる!ジムに通う必要もなし!機材や器具も一切必要なし!床があればできるトレーニング!
みたいな謳い文句だったと思います。
①肩幅に足を開き立つ。
②スクワットの要領でしゃがむ。
③両足をさっと後ろに投げ出し、腕立て伏せの体制に。
④1回腕立て伏せして。
⑤足を元に戻し、スクワットの要領でそこからジャンプ。
すみません、説明下手で。
動画を貼ります。
いろいろなサイトを見てみると、これを時間で繰り返す人もいれば、回数で繰り返す人もいて。
私は、5バーピー1セットとして、1日1セットずつ増やすようにしています。
1セットだけで、全速力で100メートル走りきったんじゃないかと思うくらい、ものすごい負荷で、急激に心拍数があがります。
人生初めての1バーピー目。
立って!かがんで!両手をついて!足を後ろに投げ出して!・・・べちゃん。
びっくりしました。
腕立て伏せができないんです。
これまでの人生で、腕立て伏せができないなんてことは、一度もなかったんです。
子供の頃から運動が大好きで、体力もそこそこあり、小学生の時には少年野球チームに少年のような顔をして参加していましたし、中学高校では陸上部に入っていました。
陸上部時代は、大した結果は出せませんでしたが、女子の中では学校イチの俊足でした。
中学時代には、学校のグラウンドで砲丸投げの先輩の真似をして、砲丸をヒョイと投げたら地区大会突破レベルの飛距離を出してしまい、焦りました。
それくらい、脚力、腕力、持久力には自信があったのです。
なのに・・・1回も腕立て伏せが出来なくなっていただなんて。
そりゃ、いくら有酸素運動しても筋肉にならんわ。
ということで、毎朝バーピートレーニングを行っています。
腕立て伏せの部分は、膝をついて・・・という屈辱的な体勢ですが。
でも、目標を見失わないようにしないと。
彼にも言われたんです。
目標は、痩せることじゃなくて、健康な体を取り戻すこと。
そう考えると、焦りもなくなり、また楽しく体を動かせそうです。
今の自分を嘆きながら運動するのと、健康で楽しい未来を目標に運動するのとでは、今の私には雲泥の差があります。
毎日、心は平穏に。
凪の海のように。
焦らず、怒らず、憎まず、振り返らず。
そんな心のトレーニングもしなくちゃな、と思っています。
でも腕立て伏せできないのはショックだった!!